昨日、東野圭吾の「手紙」 という小説を読み終えた。


いつも小説を読んだって、たいした感想なんかもなく、無理やり感想を作って言ってみたりしてた。
そんなだから、ストーリーなんかもすぐ忘れてしまう。


だけど、今回は違う。


忘れてしまうという点では数年後まで覚えてる自信なんかないけど、感想があるのだ。
忘れる前に言っておきたい感想がある。


自分自身の中にある「正義」。
「正義」と思い込んでた「正義」。
全く持って「正義」なんかじゃなかった。
そもそも「正義」なんて存在しないのではないだろうか。


決してネガティブな気持ちで書いているわけではない。
むしろ、新しい自分を発見できて嬉しいくらいだ。


いつも自分で自分を縛り付けていた「正義」から開放された気分だ。

目に見える「正義」と心の中の「正義」は全然違う。
自分自身を美化した「正義」と心の中の「正義」は別物だ。


今、「正義」という言葉で代用したけれど、小説は「正義」について書いているわけではない。
「差別」について書いてある。


心の中の差別は皆にある。
もちろん私の中にもある。


差別がいけないだとか、差別を無くさなくてはいけないだとか、そんなことを言いたいのではない。
心の中に差別が生まれたら、それは自分の問題なのだ。
心の中に差別が生まれるということは物事の表面しか見ていないという事だ。


物事全ての奥を見ていく事なんて出来ない。
絶対とは言わないが、少なくとも私には出来ない。

だからといって何もかも表面しか見ないのは、良くない。
表面しか見なければ何もわからないし、結局は何もわかってもらえないことになる。


自分で見極めて物事の真髄を見る。


これから目を反らさなければ差別は減る。


東野圭吾の「手紙」