他人からの評価でついた自信は一時的なものだ。
一時的に自信がつき、一時的に優越感を得る。

それに対して自分自身につけた評価で得た自信は壊れにくい。


私の場合、幼少期から親に批判されて育ったトラウマがあり、自分自身を信用できないでいる。
自分自身を信用できない人は他人も信用できない。

心の中で親を責め、親の高評価を期待し続けていた。

しかしいざ親から高評価を得られる様になっても、その自信は壊れやすく、とても脆い。

何故なら根本に他人からの高評価ばかり求め、自信を得たからだ。
そのため、他人が自分を批判した日には、立っていられないくらい落ち込んでしまう。


そんな自信は偽物の自信であり、まやかしだ。
そんな偽物の自信なのに、優越感を得られてしまうから厄介だ。

では過去のトラウマを乗り越え、どう自分を評価するか。

頭の中で過去をさかのぼって、自分自身に起きた苦難を一つずつ思い起こす。

自分がその苦難をどうやって乗り越えてきたか一つずつ確認する。
反省しながら、さかのぼり、乗り越えられた部分は細かくどう乗り越えたか思い出す。

きちんと乗り越えられた自分を確認すると少し自信がつく。

それを何度も何日も繰り返す。

それでも他人からの高評価を期待する自分がでてきてしまっても、「それは違うよ」と何度も軌道修正すればよい。

何度も何度も何度も何度も繰り返すうちにきっと自分からの高評価を求められるようになる。

数年かかるかもしれない。
だけど、数年かけてでも、自分が変わっていけたら、その自信は壊れにくく、次なる苦難に立ち向かう勇気へと変わる。

大丈夫。
やれる。

自分の気持ちをすべて言葉にできる人なんてきっと存在しない。


言葉にするということは時として難しい。

言葉にするということは相手に何かを理解してほしいとき。


その「何か」とは、殆どの場合「自分」だ。


しかし、「自分」をわかってもらえない時がある。

価値観の違うとき。

気分が違うとき。

上手に言葉にできないとき。


そんなとき、とってもやるせない気持ちになる。

がっかりして諦める時もある。

それでもなんとかわかってもらいたくて、とことん相手に言葉を投げかける時もある。

相手にしてもらえない時もある。


がっかりするし、とてつもなく切ないから、怒りさえ感じるときもある。


しかし、自分の気持ちを相手に何が何でも理解させようというのは子供の証である。

小さい子供が母親に自分の気持ちを理解してもらえずに怒っているのと一緒である。


相手を巻き込まずに自分の中でストレスをためることなく消化することこそ大人への第一歩だと思う。

入籍して早一ケ月。
お腹の子は早いもんで七ヵ月。

そう。
計算が合わない。

授かり婚とやらです。


愛する旦那と大恋愛をし、幾つもの苦難を共に乗り越え、結婚に至った。

と言う訳でもなく、ごく普通に出会い、ごく普通に付き合い、流れに身をまかせて結婚したのだ。

そんな愛する旦那のメールアドレスを現在、メールフィルターにかけている。

メールフィルター。
それは特定の人物のメール受信を否定する行為。

何故そんな意味不明な行動にでているのか。

自分なりに分析してみたい。
そもそも私は優しく、思いやりがある男性が好きなので、間違っても、亭主関白な男性や怒鳴る男性に魅力を感じる事は1ミクロンもない。

そして嘘を平気でつく人間も好きません。
何故ならそんな人間とは会話が成立たないからである。

悪いが、嘘に付き合ってられる程、適当には生きていない。
真剣に自分の人生を歩んでいる。

そりゃ、私だって妊婦検診で体重管理しっかりやってるフリしたり、家事をしっかりやる嫁を演じてみたり、そんなしょうもない嘘はつく。
今、自分で改めて書いてホンマにしょうもないなと思う。しかし、誰も傷つかない程度の嘘だ。


そんな私が何を血迷ったか、嘘だらけの旦那と結婚生活を送っている。

正確に言うと、籍を入れただけで、旦那らしいことは何もしない人で、そもそも生活時間が違うので顔を合わす時間もそんなにない。

私は妊娠9ヵ月入るまで収入の少ない旦那を助けるため、仕事を続ける予定だ。
なので、夜に仕事をしている旦那とは出勤前に顔を合わすくらいだ。

旦那が呑んで帰る日は顔を合さない事もある。

真直ぐ帰ってきたとしても、すぐ寝てしまうため、会話は特にない。


旦那は自分以外の事に興味が持てない人で、私が初めて胎動を感じた時に旦那にも感じてほしく、お腹に手をあてて寝るように言うと、素直にお腹に手をあてるのだが、一度胎動を感じたら特に感動する事もなく、それ依頼自ら触ろうとする事はない。
妻どころか、自分の子供にも興味がないのだ。

今まで旦那が私についた嘘は
「いい旦那になるように努力するから」

「妊娠したら酒のめなくなるね。俺も一緒にお酒やめるよ」

「前の彼女とは連絡とってないよ」

「呑んでないよ」

「だって忙しいから」


これ、残念ながら全て嘘です。

明らかに酒臭いのに呑んでないと言い張る。

忙しいといいながら、他の女と水族館行く余裕はある。

いい旦那になるからと可愛く反省した言葉を並べて、旦那らしいことは何もない。


そもそも、私の中での良い旦那とは。

家事を手伝ってほしい訳ではない。
甘やかすつもりはないので、金稼いでこいとは言うものの、大金を稼いできてほしい訳でもない。
そもそも生活費をいただいたこともない。

ただ、お腹の子供に少しくらい興味を持ってほしいと思うだけだ。

今、どれくらいの大きさなのか。

今、何週になるのか。

今、お腹の中でどんな動きをしているのか。


一緒に成長を感じてほしいし、一緒に不安になったり、感動したりしたい。


でも、彼は性格上、自分にしか興味がないため、最初は興味もつふりを出来ても、それを持続するのは無理なのだ。

そう。

彼は何事も、自分以外の事で持続する事が無理なため、結果、嘘をついてしまう事になるのだ。

でも、本人一度でもそれを実行すれば満足して良い旦那に近付けたつもりでいる。


話を元に戻すが、何故メールフィルターをかけたか。

分析した結果を発表します。

もうこれ以上、旦那の嘘を増やしたくない。

それだけだ。


そんな事を言いつつも、いつかメールフィルターを解除して、また調子良い事言われて許してしまう未来を想像するだけで、自分にイラッとする。
あんな事、言わないでほしいとか。

そんな態度とらないでほしいとか。

子どもみたいな考え方やめてほしいとか。

嫌味ばっかり言わないでほしいとか。

自分の中で相手に対する欲がでる。

いっぱいでる。


それが叶わなかった時。

愕然とする。

心に大打撃だ。

それでも叶えたいという欲がでてしまう。

頑張ってそんな欲は押さえて生きてきたのに。

そんな時。

最高に醜い姿に変身する。


まだ、自分もこんな子どもみたいな事、言っちゃうんだ。

と冷静な自分が言う。


人生でいっぱい学んできたはずなのに。

あの学びはどこにしまったんだろう。

こんな時に見つけれなくちゃ。

学んだ意味ないやん。
2日も引きずってイライラしている。

生理前だ。
だからなのか。

それでもやっぱりイライラするから書く。

書いて、数日後このBlog見て

「なんでこんなんでこんなことでイライラしてたんやろう」

と思いたい。

しかも、今から書くことは、100%自分が悪い。

イライラしている相手は悪くない。

でもイライラしてしまう。

最近手伝っているBarがある。

この間、その店にバイトに入った。

その店は20席以上あって、店員は私一人だ。

8時間ぶっ続けで。

その間にお客さんから酒を進められる。

呑む。

いい気分になる。

でも働く。

すこし席に座ってお客さんとしゃべる。

オーナーが遊びにきた。

「お前働け。今日の給料お前なしやぞ。」

「今日まったく働いてないやんけ。」

おい。

ちょっとまてと。

今日まったく働いていない?

給料払わない?

たかが10分座っていただけで、その日の給料なしでまったく働いていないことになるのかと。

しかも、他の上の人にも「あいつにちゃんと言っとけ」と言いその人からも注意された。

そしてきっと次に出勤してもオーナーに嫌味を言われる。

8時間休憩なしで働いていて少し座っただけでそんな事を言われる。

もちろん、その座った時間も時給は発生している。

だから私が悪いんだろうけど、それがすごく腹が立って腹が立って。

しかもこんな事を書いている側から、隣のウザイ人から絡まれる。

もう無視だ。

ほんまイライラする。

これが生理のせいだとしたらなんで神はこんなものを女性に与えたのか。

それにすらイライラする。








自分の指が目の中を触れることに恐怖を感じる私。


目薬も3回目で成功したら良い方で、コンタクトなんて存在は強敵で最終ボス的な存在だ。


そんな私が2時間前から目の中のゴミと戦っている。


目を閉じて、目を開ける。
この行為を死んでしまうのではないかという位、繰り返し行っている。
傍から見てる会社の人は


「また変な顔体操どっかで覚えてきよった」


と思っているに違いない。


しかも、時より涙を流す私を見て、頭が可笑しくなったのではないかとすら思われているような気がする。


しかし、当の本人はそれどころではない。
一大事なのだ。


痛いし、涙が出る。


しかし自分で瞼を返してティッシュを細めてクルっと目のゴミを絡め取る行為が出来ない。


好きな人に好きと言えないむず痒さ。


いや、何を言っているんだ私。

ついに頭が可笑しくなってきたのかもしれない。
本気で泣きたくなってきた。


「そんなに痛いなら眼科に行けばいんじゃない?」


って思う人もいてるかもしれない。


とんでもない。


あそこにも敵はいる。


プシュっと空気が出る機器だ。
綺麗な景色の絵を覗かしておいて、心がリラックスしている状態に、とんでもないことをする機器だ。
あの機器は人の心を騙す詐欺師なのだ。


そんな詐欺師がいる眼科にノコノコと出て行くわけにはいかないのだ。


どうやらこのゴミは、しばらく私の瞼の裏に居座る気だ。


ならどうだろう。


考え方を変えてみては。


共存するのだ。


そう。


このゴミと。


手をつないで眼球の上でステップを踏もうではないか。

涙なんかに流されないようにしっかり手をつなごうではないか。


だから。

痛いのだけは止めてほしい。
君の存在は認めるから。


今からこの交換条件を提示しに眼科へ行ってきます。

基本、へたれな私はとりあえずネガティブに物事を考える。


無論、自分のガラスでできたハートを傷つけない為だ。


そのガラスのハートを守りきる為にもの凄い方向からネガティブが押し寄せてくる。


仕事で評価されても自分の別の欠点をアピールしてしまう。
私をそんな優れた人間だと思い込むなと言わんばかりに。

誰も私を優れた人間だなんて思ってもいないのに。
無意味に必死な自分がいる。


冷静に考えればバカバカしい行動である。


評価した側もそんな反応を期待して言っているわけでは無いはずだ。


「そうですか?ありがとうございます。」


と何故素直に言えないのか。


それはやはりガラスのハートを守るために自分の位置を最初から底辺に設定する為だ。


なんて書きながら頭の中で仁王立ちしている自分がいる。


ということは一生、この性格とは仲良くやっていかなくてはいけないのだろう。

いい加減、反省してほしいものだ。

自分がここまでに小さい人間だとは思わなかった。

新たな自分発見。


なんてポジティブな感じでもなく。


だからといってネガティブな感じでもなく。


只々、日々不満が募っていく。


小さいよ。
ほんとに小さいからびっくりするわ。


昨日、一昨日も彼は私の家に泊まりにきていた。
一昨日、ポロっとついに


「●●は口だけやしね~」


なんって事を軽い感じで彼に言ってしまった。
彼自身気にした様で今日帰ってくるなり


「掃き掃除しといたから」
「自分が読んだ本も片付けといたから」


と報告。


ほんまや。
とその時に気付いた私は素直に「ありがとう」と言ってちょっと嬉しい気分になったのは、つかの間。


彼が帰ってくる前に「パスタ買っておいて」とメールがきたので買っておく。
そして帰ってくるなり彼は自分が食べる分の料理を作る。


「あ!ビール買ってくるの忘れた!」


「私が買いに行ってくるわ」


と私がコンビニに向かおうと思ってると流石に申し訳ないと思ったのか私にお金を渡す。


千円。


6本入りのビールを買ってくる。
少し金額オーバー。
でも6本なんてすぐになくなる。


帰ってきたら鍋や食べたあとの洗物が置いてある。
洗う。
風呂に入る。
寝る。


彼は朝6時までゲーム。


ここまでの流れで私が不満に思う点を挙げる。


①パスタを買っておく→「お金なんぼやった?」と聞いてほしい。
②ビールを6本買ってくる→「お金足りた?」と聞いてほしい。
③彼の食べ終わった残骸の洗物→「ありがとう」と言ってほしい。


①と②に関してはお金のことを言ってるが、決して勘違いしてほしくないのはそんな小さいお金がほしいために言っているわけではない。
そういった気遣いの言葉がないのかと思うだけ。

③私の洗物ではないのに私が洗っている所をちゃんと注目しなさい。


ね。
小さいでしょ。

でも言い訳すると。
家賃も光熱費も払っていての上記の行動なら全然OKですよ。
お金がなくって私より給料が安い状況ならOKですよ。
感謝の気持ちさえ持っていればね。


甘えてるよね。
ほんま。
付き合ってまだ1ヶ月ですよ。


あぁ。
小さい自分が嫌になるのでここからは心の広い自分を想像した対応編を書いてみよう。

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「パスタ買っておいて」と言われた場合。

パスタとパスタに使えそうな材料も買っておく。
帰ってくるタイミングを見計らって作っておく。
もちろんビールも買っておく。

彼が帰ってきたらすぐに風呂に入れるように用意しておく。

彼が気付かないうちに洗物して寝る。
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無理無理無理無理。


これが養ってもらっている嫁なら絶対にやりたい。
やらなくてもいいと言われたってやりたい。


しかしね。


私も仕事して帰ってきて、家事があってプライベートの用事もあって。
家庭一番に考えるような環境でもないわけですわ。


愚痴ると学ぶことも出てくる。
今回の愚痴で学んだこと。


小さいことでも人への感謝は忘れるな。

と自分に言い聞かせたい。


ということは、彼がいてくれるだけで嬉しい私は、その事を彼に感謝しなくてはいけない??


私が23歳の時からこのblogを読んでくれている人がいたとして。
私に彼氏がいてるという事実を提示した時に。


「いやいや!あんた大事な話、Blogで抜けてますやーん!」


って突っ込まれそうなのですが。

まぁそんなことはさておき。


そう。


彼氏がいつの間にかいるのだ。
そしていっちょ前に不満なんか出てきてるという始末。


彼と私は職業がまったく違い、朝昼逆転の生活をしている。

私より2歳年上の彼。
28歳飲食店勤務。


「仕事と私とどっちが大事なのっ!?」


定番でよく聞く台詞だ。

私はそんなつまらない言葉を発する気はさらさらない。


しかし、今まで仕事が原因で数々の女性とお別れをしなければいけなかった彼。
仕事を優先するあまり女性にヒステリックになられてきた彼。
女性をヒステリックにさせてしまう程、彼は仕事第一人間なのだ。


仕事第一人間。


素晴らしい事ではないか。
いずれ一家を支える男として当たり前ではないか。
たとえ約束が守れなくても理解してあげたい。


しかしだ。


彼の人生で大事なことベスト3くらいには「私」という人間が入賞していてほしいではないか。
あわよくば2位くらいにいてたっていいのではないかとすら思っていたりする。


しかしどうやらそれすら入賞していない気がする。
特にここ最近。


基本的に自意識過剰な私は、今まで愛の告白をされて付き合ったら相手は100%私の事が好きなんだろうと、本気で思っていた。
なんなら好きになられすぎて気持ちが重い。
束縛がきつい。

なんて事すら思っていた。


しかし。


今回はどうやら違う様だ。

一人暮らしをしている私の家に週3・4日泊まりにくる彼。


「いやいやどこが仕事人間ですねん。ちゃんと会いにきてくれてますやん」


と思った方がいたとしたら、どうか最後まで私の話を聞いてほしい。


彼の職場は私の家から徒歩で行けるくらい近い場所にあるのです。
そして泊まりにくると私に「明日も早いんだから寝なさい」と言い、朝までゲーム三昧。


それも別にいい。


昼間動ける彼にお願いを数度したことがある。
「シャンプー今日の分なくなってしまったからいつものやつ買っててもらっていい?」
「明日、荷物届くから受け取っててもらっていい?」
「ここの棚高くて届かないからこれをおいてもらってていい?」


すべての返答は愛想良く「わかった。やっとく」と言ってくれるのです。


しかし百発百中やってはくれていない。


彼が気をつかって忙しい私に「明日朝おきたらこの部屋掃除していっとったるわ」と言う。

帰ってきてもその部屋の風景は変わっていない。


やらないなら言うんじゃねーぃ。
と思うが言えない私。


今まで言いたいことを言い過ぎて失敗した過去があったりもするので我慢我慢の毎日です。

ああああ。
いつまでもつのか。
この我慢。








昨日、東野圭吾の「手紙」 という小説を読み終えた。


いつも小説を読んだって、たいした感想なんかもなく、無理やり感想を作って言ってみたりしてた。
そんなだから、ストーリーなんかもすぐ忘れてしまう。


だけど、今回は違う。


忘れてしまうという点では数年後まで覚えてる自信なんかないけど、感想があるのだ。
忘れる前に言っておきたい感想がある。


自分自身の中にある「正義」。
「正義」と思い込んでた「正義」。
全く持って「正義」なんかじゃなかった。
そもそも「正義」なんて存在しないのではないだろうか。


決してネガティブな気持ちで書いているわけではない。
むしろ、新しい自分を発見できて嬉しいくらいだ。


いつも自分で自分を縛り付けていた「正義」から開放された気分だ。

目に見える「正義」と心の中の「正義」は全然違う。
自分自身を美化した「正義」と心の中の「正義」は別物だ。


今、「正義」という言葉で代用したけれど、小説は「正義」について書いているわけではない。
「差別」について書いてある。


心の中の差別は皆にある。
もちろん私の中にもある。


差別がいけないだとか、差別を無くさなくてはいけないだとか、そんなことを言いたいのではない。
心の中に差別が生まれたら、それは自分の問題なのだ。
心の中に差別が生まれるということは物事の表面しか見ていないという事だ。


物事全ての奥を見ていく事なんて出来ない。
絶対とは言わないが、少なくとも私には出来ない。

だからといって何もかも表面しか見ないのは、良くない。
表面しか見なければ何もわからないし、結局は何もわかってもらえないことになる。


自分で見極めて物事の真髄を見る。


これから目を反らさなければ差別は減る。


東野圭吾の「手紙」